窮屈な社会だな


なんか違うんだよなぁ。

赤ちゃん、泣いていいよ!スティッカー

電車内やレストランなどで赤ちゃんに泣かれて、肩身のせまい思いをしがちな保護者に、周囲の人が「気にしなくていいよ」というメッセージを伝えるためのマークが生まれたという、このニュースに、なんとも言えない違和感、不自然さを覚えた。

「気にしなくていいよ」というメッセージが、悪いということではない。

それを、マークでなければ、伝えられないという社会にだ。

そんなマークに気づくということ自体、それだけ周りを見渡していなければ気づかない。

一言、「まあ、元気ね〜」と、誰か一人が笑顔で声をかけてあげれば、いい話じゃないだろうか。

子供は、社会全体の宝なんだから。

その中で、「うるさいな〜」と内心思うサラリーマンがいたっていい。

乗り合わせが悪かったってだけだ。

誰もが不快にならないように、みんなにとって良いように、が行き過ぎると、

人に気を使いすぎて、何もできない息苦しい社会になってしまう。

というか、既に、そうなっている気がする。

誰もが居心地がいいようになんて、できない。

それを目指そうものなら、平均点のつまらない世界になってしまう。

以前、オランダで、たまたま乗り合わせたバスは、通学中の子供たち(小学生ぐらいかな)でいっぱいだった。

紙を丸めた剣でパコーン、パコーンと、盛大にやりあって、何十人もの子供が大声で騒ぐものだから、それはそれは賑やかは通り越し、学級崩壊か、動物園か?という有様で、目を丸めたことがあった。

私は、公共の場で、そんなに騒ぐ子供をこれまで見たことがなかった。

そこに、乗り合わせた大人が何人かいたので、注意するのかと思いきや、誰も止める人はいなかった。

あとで、オランダ人の友人にその話をすると、

「まあ、子供は元気なほうがいいからね。そんなもんだよ」

と、静かにしなきゃいけないのは、電車で静かにする用の座席ぐらいで、特に、静かにしなくてはいけないというルールがないと教えてくれた。

ガーナでは、トロトロ(乗り合いバン)の人が密集した中で、子供がお漏らしして、みんなでギャーギャー大騒ぎになることもある。

それだって、隣に座ったら、「勘弁してくれよ〜」という迷惑そのものだけれども、笑い話でおしまいだ。

人は、そもそも迷惑をかけずに生きられない生き物なのだ。

自分の足で立てず、食べられない乳児期をこれほど長い期間過ごす動物は、人間の他にいない。

それを、あまりに人に迷惑をかけずに生きようとするから、不自然に、窮屈になってしまうのだと思う。

迷惑かけて、かけられて。

そういうものでしょ。

「こういう場では、どうするのがマナーか」「子供不可の飲食店はありか、なしか」とか、それをいちいち、社会全体で見解を一致させようとするから、窮屈な社会になるんだよ。