Global citizen


先日、とあるインタビューの最中、「ガーナで暮らすのは好きですか?」と聞かれて、

迷わず、

「好きじゃないです。嫌いです」と答えた(笑)

すぐに埃で汚くなるのも嫌だし、電気が止まったり、水が止まったりするのは不便だし、なんてことないことでチップ狙いの警官に止められるのもムカつく。

でも、住んだら、やっぱり自分のいる国の良いところに目を向けたいし、そうするのがストレスを減らして、幸せに暮らす対処法でもある。

じゃ、何が良いところかというと、私は、「キラキラした目の若者が多い」ところだと思う。

ガーナ初のファッションオンラインサイト「VIVIA.com.gh」を作るにあたって、ガーナで「良い物作り」をしている人たちを発掘する中、情熱とプライドを持って仕事をする、キラキラした目の人たちにたくさん出会った。

あるITスタートアップの会社は、ガーナでアメリカ資本のインキュベーターから支援を受け、シリコンバレーへの挑戦の後、CNNなどに取り上げられたが、うまく行かず、またガーナに戻り、チーム再編などを経て、アルゼンチンのインキュベータープログラムに参加するために、アルゼンチンに渡っていった。

すごいでしょ? ワクワクするでしょ?

日本で伝え聞く「アフリカ人」像とは、違うでしょう。

日本では、「格差社会」云々と報道され、現状を改善しようとするより、不平不満ばかり聞き伝うことが多い中、本当の「格差社会」で、もっと困難な環境の中で、そんなことを愚痴るより、黙々と、”Tomorrow is a better day” と信じて、何年も「作りたい物作り」を目指して、自分の夢を追いかけている人たちにたくさん出会ったこと、それが何よりも楽しかったのだと思う。

タラタラ人のせいにして文句ばかり言って努力しない人より、そういう人に囲まれて生きたいでしょう。

ガーナには、約300人の日本人がいて、そのうち8割が大使館、JICA関係者だと言われている。

また、国際協力、開発系の仕事に従事する人も多い。

となると、必然的に、役人、農村部の貧しい人たちを相手に仕事をすることが多くなる。

ビジネスでアフリカに入っている人たちも、ラストマイル、マスマーケットを対象としたビジネスが多い。

ガーナ以外のアフリカについても、内訳としては同じようなものだろう。

ほとんどが、アフリカに愛情を持つ、人道的な人たちだ。

にも、関わらず、「ガーナ人と共同経営している」と言うと、「え?騙されないんですか?」と返す人がいる。悪気なく。

「アメリカ人と共同経営をしている」と言って、同じ質問を投げかける人はいないだろう。

「日本人と共同経営をしている」と言って、同じ質問を投げかけたら、とても失礼だということは誰でもわかるだろう。

私は、いつも非常に残念に思う。

彼らが、私が見てきたようなガーナ人に出会えなかったことに。

それは、「ガーナ人」ではなくて、あくまで、その彼、または彼女、個人の問題だからだ。

持って生まれた人種による人体的特徴(黒人は筋肉量が多いなど)、お国柄は一般化できるが、知力、能力に関しては人種による優劣は全く一般化できない。

能力、知力は、それは単に、環境、教育、教養の差でしかない。

例えば、教育をきちんと受けていなければ、大人だって小学生と同じこと。小学生と一緒に仕事をしたら、段取り力、理解力、実行力など様々な面で、嘆きたくなることもあるだろう。

頭ではもちろん理解しているのだろうけど、肌で実感していない場合、ついはずみでそういう表現が出てしまうのだと思う。

単に、深い意味はなく、普段、彼らが仕事柄、接する現地の人たちに共通する傾向だから、まとめて、アフリカ人なり、ガーナ人と言葉の綾で発言しているのはわかるのだけれど。

私も、もちろん仕事様などについて愚痴るが、「Aは」「うちのスタッフは」など、国籍でまとめることはない。日本人に対しても同様に愚痴る。

「NOと言えないガーナ人」などと一般的に一括りにした記事を書いたりもしたが、NOと言えないのが悪い、劣っているという意図はなく、性質を指摘しているだけのつもりだ。

ビジネススクールでの方々から来たクラスメイトを過ごした経験や、ガーナでたくさんのキラキラした目をした同年代の起業家たちに会わなければ、この微妙な性質、特徴の一般論との区別に関する言い回しに敏感に反応することはなかったと思う。

国際協力の現場にいる人の中でも、決してこの微妙なラインを踏まずに会話する人もいる。西側の先進国、新興国の両方を経験してきた人や、様々なバックグランドを持つ優秀な同僚を持つ人たちが多い。自分の経験に偏ってしまうのは仕方なく、無論、両方経験しなくても、想像力豊かでそういうセンスを兼ね備えている人もいる。

そういう人をGlobal Citizen というのだと思う。

それは、決して、西でも、東でも、アフリカでもなく、偏ることなく、どこからの視点でも物事を見えながらも、自分の視点を持ち、個人のバックグランドや違いを尊重する人たち。

Global citizen たちと交わす会話は、飽きることなく、とても楽しい。だって、「違い」で一杯だから。

未だ、日本では、英語ができるとか、欧米化=グローバルだと捉えられがちだけれども、それはグローバルでも何でもないよ。