白い肌が欲しい?


美的感覚というのは、普遍的なものではなく、文化、時代によって変わるものである。

img_37421b979d58f7e208e95f29f4dccc63232686今年、5月にコートジボワールが、西アフリカで一般的に使われている美白化粧品が長期的な使用により副作用で健康被害が生じるとして使用を禁止した。

禁止の対象となる美白クリームやローションは、水銀や水銀誘導体、コルチゾン、ビタミンA、2%以上のヒドロキニンをそれぞれ含有するもの。コートジボワール当局では、これらは副作用の被害を受けた人が「非常に多い」製品で、使用すると皮膚がんを発症する恐れがあるとしている。

同国の最大都市アビジャン市内にあるトレイクビル大学病院に勤務する皮膚科医によれば、美白製品には高血圧や糖尿病の原因となる可能性もあるという。

http://www.afpbb.com/articles/-/3047579

このニュースを耳にして、多くの女性が自分の肌を痛めつける行為に走っているという事実に、胸が痛んだ。メラニン色素を分泌して日差しから肌を守るために黒くなった肌は、日差しには強いが、皮膚そのものは薄く、皮膚が白人や黄色人種より弱いという統計があるぐらい繊細なはずの肌だ。

と、同時に、学生時代に読んだトニ・モリソンのデビュー小説「青い眼が欲しい」”The Bluest Eye”を思い出した。

トニ・モリソン(Toni Morrison)とは、黒人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した米国の作家だ。ピューリッツァー賞など数々の賞を受賞している。

ストーリーは、以下、Wikipedia から。

大恐慌時代のアメリカ中西部を舞台に、白人の容姿に憧れる黒人の少女の一年間を描いたもの。少女は自分の不幸の原因が白人の美の基準にそぐわない自分の容姿にあると思い込み、青い目になれるよう空しい祈りを続けるが、父親の強姦による妊娠で気がふれ、「青い目になれた」と信じ込むものの、より青い目になりたいと想像上の友人と会話を交わす。物語は、アメリカのマジョリティであった白人中産階級が理想とする「よきアメリカ」の家族像を謳った小学校教科書の一節から始まり、それを幸せと信じた黒人少女ピコーラの悲劇が、少女と同じ黒人であるもののそうした考えを持たない友人の視点から語られ、白人の価値観が支配するアメリカ社会の中で、ピコーラを不幸にしている本当の原因のありかを探る。

主人公を襲う悲劇や彼女の持ち合わせる自己嫌悪の深さなど、扱う題材が陰湿なのにもかかわらず、読後に陰湿な印象を抱かずに済むのは、作者がこの作品の登場人物の誰かを告発する様な文体で著していないためである。この作品には作者の、登場人物皆に対して憐憫が平等に与えられている。

この小説は、黒人家庭の近親相姦や暴力を描いている点でも非常に衝撃的で、黒人社会からの批判も大きかった。白人の敷いた価値観に侵食されている黒人社会、その価値観を元にした黒人社会内に根付く偏見を、誰かを弾糾するわけではなく、その様を描写している。

ガーナでも、女性は、肌の色がlight 薄めの人、ストレートな髪に憧れるようだ。

これは、褐色の肌を持つ民族、そして近代化されてきているもしくはされた地域の多くに当てはまる現代の美的感覚のように思う。

インドやタイなど東南アジアでも、肌の色が薄い人が好まれる。それは、単に、好みの問題ではなく、「肌の色が濃い=外での労働に従事=労働者階級」と連想するからでもあるようだ。添付記事でも指摘されているように、「皮膚の色が薄いほど良い人生を送れるといった印象をメディアが与えている」もしくは、肌の色が薄い人が良い生活を送っているという側面もある。

近代化が、日本を含む、ほとんど多くの地域でイコール西洋化、欧米化として起きてきた中、この「美的感覚」の基準が、果たして、もともとあったものなのか、時代の変化による内生的なものなのか、白人が病的で血色が悪いと焼けた肌を好むように、自分にないものを求めたがる人間の普遍的欲求、ないものねだりによるものなのか、もしくは、気づかぬうちに欧米の価値観に侵食されたせいなのかは、わからない。

ただ、私が言えるのは、私は、私の肌の色も髪も好きだし、あなたの褐色の肌も、その髪も素敵だと思うよということだ。